夏休み総括

① 8月10日祖父の死、そして葬式。
 もう祖父はいない。孫である自分との決別だ。
 孫という自分の役割がなくなる。これからは「親」あるいは、親父たちの「子」という役割が残るだけとなった。
 そして、家族について見直す機会となった。葬式で親父の兄弟など親戚がたくさんやってきた。
 みんな、自分の人生を生きている市井の人々だ。

 今まで、学校、仕事中心でやってきた。
 家族、自分の家族をもっと大切にしていいと思った。
 
 それから、普段着で仕事ができないか、と思った。
 気合をいれて、必死で毎日を過ごしている。
 いつも学校のことを考え、少しでも先のことをどうしようか、成功させようと無理も押してやっ てきた。
 
 しかし、今がんばれば、いつか終われる、という発想がその根底にあった。
 苦しいけれど、無理してがんばろうという発想だ。ただ今がんばれば、と思っている節もある。
 しかし、それでは長続きしない。
 これからは、学校も家庭も同じ土俵にのせて、考えていきたいものだ。
 下山の家も岡崎の家もみんなつなげて考えてく。
 自分の中で、相反するものとしないで考えていきたいものだ。
 

② 健康への配慮
 昨年夏尿道結石、今年夏人間ドックで引っかかって再検査、胃カメラを飲む。
 健康について、生活習慣について見直す。
 酒、肉、お菓子、寝る前の間食、運動不足…。
 どれをとってもなくてはならないもものではない。
 酒がないとやっていけないほど、自分の生活は苦しいものではない。
 日々満足している。
 
③ 発見!岡崎から鈴鹿山脈が見える。
 夕方、県営グランドまでジョギング。西の夕日が沈む方に低く稜線が見えた。
 ひょっとして鈴鹿?頭の中に地図を広げる。
 確かに、岡崎の真西に鈴鹿以外に山は見当たらない。
 鎌、御在所、釈迦、竜、藤原、御池、確かにそれらしい。一番端は霊千か、ちょっと多いが伊吹かも?
 しかし、もっと下の鈴鹿峠の方かもしれない。
 
 家に帰ってさっそく地図を広げる。
 岡崎からまっずに条規をあてると、ほぼ真西が四日市だった。
 まちがいない。 驚き!
 今まで岡崎の住んでいたのに。
 縁だな、と思う。
 高校、大学と登り続けた山。
 そして、あかりの会。
 菰野鈴鹿にこんなに縁があるとは。

 人を思うということは、その人と離れいても思い出すということか。

 もうすぐ、夏休みが終わる。