一リットルの涙

妻と中2の娘、小6の息子の4人でドラマ「一リットルの涙」の最終回を見る。
「お母さん、病気はどうして私を選んだの?」

妻、娘、息子が涙を流している。

子どもたちもそんな年か。

「お母さん、ずっと信じてくれてありがとう。」
のセリフに、「お父さんも、ずっと信じてるからな」と心の中で言う。
声に出していったら「うるさいよ。今いいとこなのに」とでも返ってきそうだ。

ドラマ作りの視点から

①ドラマのラストはこう締めるか。
ラスト10分。20才。突然「五年後」のテロップ。そして死、→母親がノートを見る「笑顔のあなたにもう一度だけ合いたい。」→お墓のシーン
美しいシーンでつなぐ。闘病の場面などカット。

②お墓。医師、かかわって人々が丘を登ってお墓に来る。
このあたりは、現実離れ。ねらいは抽象化によるテーマの主張だろう。ドラマであり「演出」があってよい。本当にはありえないシーンであっても納得。一方、妻は「ありえない」とあくまでも、現実としてドラマを見たい派だった。

③お母さんが、原作を「生き続けようとして娘」として綴った点がいい。「苦しみ、悲しみの叫びの手記」として書いていたら、一般の人は読まない。それを乗り越えた所に、価値か生まれ、みんなの心を揺さぶる。

本当は、つらさ、悲しみという綴られていない心があっただろう。

芸術とは、こういうものだろう。
感情をそのまま、書けばよい、というものではない。
書く価値のあるものを書くということ。
自分の中でしっかりと、価値あるものにすること。